2010年5月10日月曜日

晴れの門出

5月10日(月)天気晴れ
後藤(5.10)くんの日
ユーシンの誕生日(ちがったっけか)
そして、神保だいちゃん&神保はるちゃんニュー夫婦が
えりも町に旅立つ日。

二人のキューピッドのひとりである私が、
ひまだったのでお見送りをした。

そうだね、ふたりのなれそめ
なんで私がキューピッドなのか
7年くらい前から振り返ってみよう

たしか2003年
私macoTanizakiが日高少年自然の家に「ジムホサイン」
として採用。
日高少年自然の家には私の専門「プロジェクトアドベンチャー」
の施設が北海道では唯一存在し、そこで働くことが夢だった。
採用1年目。夏に「日高アドベンチャー研修会」という
指導者養成の研修会があり、「ジムホサイン」の私は、
主担当にはなれず、副担当(パシリテーター)として従事。
当時は「プロジェクトアドベンチャー」という手法や
言葉自体が北海道にはまだ浸透しておらず、参加者集めも
苦労した。大学の後輩や先生に声をかけ、必死に集める中
大学時代の大先輩が室蘭文化女子短期大学で保育士を養成
していることをきき、「学生をだしてもらえないか?」と
お願いしてみたところ、「一人よこすから」と送り込んでくれた。
それが我らがヤクルトのおばちゃん「ミチル」だ。


あ、これはミチルの息子「わたる」ね。ミチルそっくり(笑)

参加者の中で女性はミチル一人だけ
2泊3日をおじさんたちに囲まれて過ごすミチルのストレスは
かなり大きかっただろうな。
そう思った私と当時の職場の先輩「稲葉さん」で、
ミチルが宿泊している部屋の内線にイタ電。
夜中までいろいろと語り合いました。

そこからミチルとの交流が深まり、お互い気心のしれた仲に。

その翌年、私採用2年目に「新人のジムホサイン」が入ると。
「どんな人がくるんだろー」と期待に胸ふくらませていると、
やってきたのはくらーい、むさーい感じの「Jimbow」だ
それでも「ホサイン」同士仲良くやらなきゃと、
話をしていくうちに、「あれ?こいつ相当のおばかさんだな?」
と2週間目くらいで疑い始め、5月の施設整備の時に確信。
直接「神保さんさ、馬鹿でしょう?」ときくと
「もうばれた?汗」と
そこから一気に意気投合。

その年の秋に再び「日高アドベンチャー講習会」を開催
講師はなんと私が係長にお願いして「Papazow」だ!
これは一気に参加者も集まり、もちろんミチルにも声をかけた。
パパ憎による「日高アドベンチャー講習会」は当たり前だが大成功。
すんなり翌年も講師はパパ憎に。

おれ採用3年目。最後の年。
もちろん日高アドベンチャー担当。講師はパパ憎とアッコ
ミチルも参加。神保さんはぜんぜん担当じゃないけど無理強い。
そこに当時「キリスト教会系」の幼稚園で仕事をしていたミチルは
同じ系列の幼稚園につとめる「はるちゃん」を呼んできたのだ。

これが神保さんと春ちゃんのファースとコンタクト。

当時から仕事とプライベートをごっちゃまぜにしていたオレは、
ボランティアのみんな(ヒロとかエリとかもそう)や
参加者の仲間たちにお金をちらつかせ、取り込んでいた。
そうやって「北の國から」は大イベントになっていったんだよ。

日高の事業以外でも金に目がくらんだ仲間たちは、
思うがままにイベントや飲み会に参加してくれ、
神保さんや春ちゃんもどんどん仲良しに。

そんなこんなしているうちにふたりはつき合っていたんだね。
だれからだったか忘れたけど、かなり早い段階でその情報が
おれの耳に入り、神保さんに確認したら
「その情報網はもうヤクザじゃん」って言われたのを思い出す。

ほうら、オレとパパ憎とミチルがキューピッドでしょう?

もうえりもに着いたかな?
「これからはじまるわくわくドキドキ♪」
「ふたりでつくる今からの時間♪」
「なにかしない?」「なにかしようよ!いっしょにさ♪」


二人に、二人を取り囲むたくさんの人たちに
今よりちょっとだけのハッピーを!

maco

0 件のコメント:

コメントを投稿